2019/05/16
人生を振り返れば、逃げ出してきたことばかりでした。初日に先生から伺った、自分の人生の主役をやれているかという問いに、私は首を横に振ることしかできず、それまで送ってきた人生の時間を殆ど無為に過ごしていたことを、三日間の修行を通じて心より恥じ入る次第です。夢を追いかける苦難ばかりを見て、自分の力を信じ切れず、努力も充分にできてはいなかった過去から、頂いた教えを通して理解した積極的なマインドを胸に、これからの人生を歩んでいく所存です。
初日で教えていただいたあいさつの仕方は、これから社会人として人生を歩むに当たって、どこに行くにも必要となるものであり、指先にまで全神経を払うこと、礼をする適切な速度や声の大きさといったことを厳しく御指導いただいたのは、得難い体験であったと思います。また、精神修養としてお経を唱えたことも日常では決して体験できるものではなく、普段運動が不足していることもあって非常に苦しいものでしたが、苦しさの中で次第に痛みなどの雑念が消えて、思考がクリアになっていく感覚はとても新鮮なものでありました。何かに没頭することで余計な不安などがなくなっていくという気付きにもつながるこの修行での経験を元に、これから挑むであろう業務にも、まずは一挙手一投足に至るまで全力で臨み、気付いた頃には自然な所作として余計な力を入れずに業務をこなしているような、そういう人材になってみせます。そのために、日々精進を重ねてゆく次第です。
二日目は、大きな後悔が残った一日でした。なぜならば、滝行を最後までやり遂げることができず、途中で音を上げてしまったからです。元々、すぐに逃げる自分を変えたいという願望を持って修行に臨んだものの、そうした悪い自分を捨てることができず、変わるための場においても同じことを繰り返してしまったというのは非常に恥ずかしく、ただ反省するばかりです。
しかしながら、学ぶことも同時に多くあった一日でもあることもまた確かです。一念岩をも通すという先人の言葉の通り、強く意志を持って挑む御百度参りや、私は恥ずかしながら最後までやり遂げることができませんでしたが、大自然という空間に身を置き、冷水に身を浸すという苦境に自ら身を置いて金剛大師の御名を一心に唱えることで、何かこの世に満ちる大いなる意志の一端に指先が触れたような感覚が一瞬胸の中から湧き起こってきたのが不思議でこそありましたが、身も心も洗われたような感覚でもありました。
三禮は非常にハードで、忘れられない体験になったと思います。やはり普段から運動をすることの大切さを実感すると同時に、足をつりそうになりながらも精一杯やれたことは一つ、大きな達成感を得られたと思います。しかしながら、途中で止まってしまったことには大きな後悔が残ったため、今度に備えてこれからは身体を鍛えていかねばならないと痛切に実感いたしました。今後、努力していきます。
三日目で最大の印象に残ったことはやはり先生の法話です。真言宗という宗派の成り立ちから宗教観に生の言葉で触れることができたのは非常に感慨深く、御自身のサクセスストーリーから得た人生に重要な考え方は、私の人生観を大きく揺さぶるものであったと感じています。冒頭の通り私は自分の夢からも逃げて、何となくで人生を送ってきたような人間でした。だからこそ、今日に至るまで後悔という後悔ばかりを積み重ねており、まさしく「負け犬」と呼ぶに相応しい人生であったと思っております。だからこそ、法話を通して思い至ったことは人生を取り戻したい、自分という主人公になりたいというもの一心であり、その為にはこれから、今までネガティヴなことばかりを考えていた自分を捨てて、積極的に「これからの夢」を追いかけていこうと思います。貴重なお話をいただき、本当に感謝の念が尽きません。
この三日間の修行を無事に終えられたのは、決して自分一人の力ではなく、同期の仲間や他社の人々とも力を合わせられたことが非常に大きいと思っています。共同作業や修行を通して、人との関係性の大事さを実感できたこともまた、大きな気付きであり、得られた成果の一つです。三日間を通して学んだことと得たものを活かし、まだまだ半人前ではありますが、明日からの業務に全力で挑んでまいります。